コラム | 「ヘェ〜的な話」その16 2005年 7月31日更新 |
インターネットの最大の売りは、情報収集のしやすさだと思うであります♪
その内容は多彩で飽きることがありませんよねぇ〜
Q:仙豆がほしい。 もちろんこんな内容の一言カードばかりではなくちゃんとしたものも多いのだが、
そのやりとりから気さくな職員さんの人柄が見え隠れすることで人気を博しています。
未だ謎でありましたが、とうとう直接インタビューした記事を見つけました。 の生協に異動なさったとのこと。
学生時代はバンドで鍵盤弾きとして活躍なさっていたそうだ。
今はたまたまそのサジ加減がうまく行っているだけで、、、、」
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コラム | 「ヘェ〜的な話」その15 2005年 6月20日更新 |
最近はすぐ切れる人が増えてきていると言われます。
これが出たときは腹が立って立ってしかたなくなります。
よく似ている物質だそうです。
癌だらけになってしまいます。
癌を引き起こす活性酸素を下げてくれます。
精神病院に入院するかどちらかです(笑) ということです。
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コラム | 「ヘェ〜的な話」その14 2005年 5月20日更新 |
最近は暖かくなりましたねぇ〜♪ よけたまではいいのですが、よけた拍子に豪快にすっころんだことがあります。
犬にはいい思い出がまったくといっていいほどありません。 しかし、犬が悪いわけではないわけで、飼い主のモラルの悪さが問題だと思います。
案外おしゃれなイメージの国でも平気な国もあるようです。
「ふん公害」を改善するために、飼い主に糞を片付けさせる為の条例を交付するほどです。 それこそっ、「糞だり蹴ったり」ですねっ(プップッ)
溝に入り込んでやがて自然に還っていくという仕組みだとか、、、、
免疫があり、犬の糞とかが地面のあちこちに落ちていても、全く気にしないで踏み歩く様です。
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コラム | 「ちょっと考えさせる話」その1 2005年 4月26日更新 |
「近頃の若いもんは……」 よく年配の方が愚痴をいう時の文句ですけど、メソポタミア文明の遺跡からも似たような言葉が発掘されたくらい歴史のある言葉?らしいです。 私がネットサーフしていた時に結構話題になっていたプログのお話に考えさせられるものがありましたので、ご紹介したいと思います。 人それぞれ賛否両論あると思いますので身近で話題にされてはいかがでしょうか?
〜以下引用〜 席を譲らなかった若者
「お年寄りを大切にしよう」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。
きのうは社会と自分の意識の変化に気づかされる小さな事件があった。 私の向かい側座席の前には男性1人、女性2人のハイキング帰りらしい高齢者が立っていた。 私に背中を向けているから時たま見える横顔で判断するしかないが、60代半ばぐらいか。 彼らの目の前の座席には若者2人と50代ぐらいの女性1人が座っている。
若者は2人とも茶髪、1人はサングラスをしていた。 「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」 「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」 などと、かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。
どうも自分の前にいる若者に席を譲らせて女性2人を座らせたかったらしい。 すっかり眠気が覚めてしまった。反対側にいる私が席を譲れば、もう1人ぐらい誰か立ってくれるだろうと
思って腰を浮かせかかった瞬間、サングラスの若者が口を開いた。 チャラチャラしているように見える若者の意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。 「お年寄りに席を譲りましょう」とか「お年寄りを大切にしましょう」などというキレイごとを聞いて育ってきた 世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。 あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。
3人の高齢者は凍りついたように黙りこくり、次の駅で降りていった。ほかの車両に乗り換えたのかもしれない。 そういえばいま一番元気でお金を持っているのってシルバー世代なんだよね。 戦後の復興と日本経済の躍進を引っ張ってきた彼らが「よく働いたんだからゆっくり楽しもう」
「若い人から尊敬されて当たり前」と思っているのも理解できる。 いま現在支給されている年金の原資。自分が受け取る年金なんてこの少子化社会で 支えられるはずないって分かっている。消費税だって時期はともかく2ケタになるのは必至。 これまでのような高度成長も望めない。将来に悲観的になるのもムリはない。
そんな世代のハザマにコウモリみたいな私の世代がいるってワケか。 なるほど若者の勤労意欲が低下するのも無理ないな〜と思った次第。
自分が子供だったころとは社会がずいぶん変わってきていることを実感した。 〜以上引用終わり〜
いかかでしょうか? あなたなら、どう思います? 私は、偽善をするつもりも、慈善をするつもりもありません。 自分の身内や知り合いならいざ知らず、自分のことをまったく知らぬ他人に自分の行いについてとやかく言われてまでその人にやさしくすることは出来ません。 親切や心配する人を騙す人が乱雑する現在、他人に親切にされた行為自体に疑問を感じるかも知れません。 自分の弱さを利用しようとする老人と、自分の正当性を主張しようとするがゆえに接し方を誤っている若者! 双方とも自己主張自体を間違っているのではないかっ? やさしさの意味をはき違えるのではなく、自分自身をしっかり持っている人であれば、振り回されることもないんでしょうが、、、、、
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コラム | 「ヘェ〜的な話」その13 2005年 3月26日更新 |
最近は色々なお茶が出てますよねぇ〜
その値段は実に20g250万円だとか!!
「大紅袍」が置いてあるそうですが、そういうものを買っちゃいけませんよ〜
本物の「大紅袍」は、福建省武夷山にあるたった四本の木からしか採れないもの。
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「ヘェ〜的な話」その12 2005年 2月11日更新 |
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毎年この時期になると、テレビ・ラジオや雑誌などで聖ヴァレンタイン・デー のことが取り上げられます。 「西欧ではチョコをあげる習慣がない」とか、 「日本でチョコを渡す習慣がはじまったのは、神戸のケーキ屋さんが最初」 だとかいうウンチクが語られることが多いですね。 「では、もともと西欧において、聖ヴァレンタイン・デーは、どうしてはじまったか?」 は、あまりマスコミでは取り上げません。
それはなぜかというと……
今でこそ聖ヴァレンタイン・デーは、西欧では「恋人の日」として、 日本では「女の子が告白しても良い日」として認知されてますが
もともとは、全然、違う風習の日でした。
実は、ほとんど「乱交の日」だったんです(笑)。
になるという習慣がありました。 当然、そこで行われるのは、信じられないような酒池肉林(笑)。
ま、大規模な乱交パーティーみたいなものだったわけです。 民衆に人気のあった(と思うよ、たぶん)この日を、快く思っていない集団がありました。
そう、
そこで浮かび上がってきたのが、聖ヴァレンタイン。
帝国から追放されても、なお一途な愛を貫き通して結婚した聖人の彼を、
2月に行われる集会のシンボルとすることで、エッチなことをするのをやめさせようとしたんです。 「ルペルカス神を崇拝すると死罪になる」といったキャンペーンまで展開。 その甲斐があって、めでたく「ルペルカス・デー」は滅んで、「聖ヴァレンタイン・デー」 にとって替わられた、という次第。
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「ヘェ〜的な話」その11 2005年 1月1日更新 |
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します♪
「煙草を吸うと肺ガンになる確率が高くなる」などと言いますね。
なるほど、煙草が寿命を縮めることはわかりますが、 たとえばバイクで暴走するなどといった他の危険行為と比較して、 どれだけ危険なのかはあまり比較されませんね。 ラフボロー大学のトレバー・クレッツ教授は、
そういった危険な行為が、どれだけ危険かを比較してみたそうです。
それによると、 同じ危険率なんだとか。 いったい、何が危険で危険でないのか、さっぱりわからなくなりそう、、、
とりあえず、3日でピーナッツバターを80瓶もなめるのは難しいが、 3日で煙草を100本吸うのは簡単だということはわかります。 それだけ、危険だということ???
あくまで計算上の危険率なんで、比較の参考にしかなりませんが、 この教授によれば、他のありとあらゆる死因を取り除けば、 製鉄所で年間2000時間働く人は6000歳まで生きられる計算になるそうです。 車を週10時間運転する人は3500歳、バイクを同じだけ運転する人は300歳、 煙草を1日40本吸う人は100歳までしか生きられないということです。 あくまで計算上ですが。
積極的に健康な体を作るという手もあります。 毎日ジョギングをして、週に2000キロカロリー消費すれば、 だいたい寿命が2年から3年は伸びると言われています。
「おお、素晴らしい!」とお思いでしょうが、実は落とし穴があります。
20歳から80歳までジョギングをしたとして、それに費やす時間はおよそ2年ぐらいなので、 要するに「走るのに使った時間しか寿命を伸ばせない」んですよ。 だったら、走らなくていいや、と私なんか思っちゃいますけどね♪
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コラム | 「ヘェ〜的な話」その10 2004年 11月27日更新 |
世の中には、死ぬまで秘密を守り通す人がいるものです。
得ていたジャズ・ミュージシャンでした。
離婚した妻以外は、仲間のミュージシャンや三人の養子でさえ知ら
埋葬の準備をしていた葬儀屋が、遺体を見て気付いたのです。
そう、彼は男性ではなく、れっきとした女性だったのです。
そのことを告げられた周囲は、大騒ぎに。
とだけ言い、結婚生活については何も語らなかったそうです。 どうやらジャズ・ミュージシャンとして成功するには、「男装し、男として通す」 方がいいと考えたようです。 ビリーのキャリアは数十年にも渡るが、見破られたことは一度もないそうです。 ビリーと十年間、一緒に演奏していたミュージシャンも、まったく気付かなかったという。 ただし、妙に高い声と顔つきから女っぽいと表する者はいたようだ。 養子のひとりが言うには、ビリーは死ぬ数年前から胃潰瘍を患っていたのに、 けっして病院には行きたがらなかったとか。 ってか、行けないか、、、、、
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「ヘェ〜的な話」その9 2004年 11月19日更新 |
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欧米では、広く占星術が信じられています。 フランスの心理学者ミシェル・ゴークランは、占星術に興味を持 ち、これに合理性があるのか
どうかを調べてみようと思い立ったそうです。 データを送ったのです。
その結果、すべて「心優しい素晴らしい性格」を描写したホロスコープが送られてきたとか。 無料で占星術をしてあげますという広告を出し、占ってほしい人を募集したのです。 応募してきた人に対して、例の凶悪殺人犯のホロスコープを送ってみたところ、ほとんどの人
が「当たってる。私の性格そのもの」と大満足だったんです。 数千人分のホロスコープを調べ、その人の人生と、誕生時の惑星の位置や星座とは何の 関係もないことを見出したのでした。
ま、当然の結果ですね。 彼は、天球(地球上から見た空)で、火星などの惑星が水平線から顔を出し、ふたたび沈む までの動きを12に分割し、その位置と人の誕生頻度を調べていました。 その結果わかったことは、「著名な医学者は、火星か木星が第一区分あるいは第四区分 にあるときに生まれる」ということでした(!?)。 それだけではなく、「スポーツのチャンピオンと優秀な軍人は火星、成功した俳優や政治家は
木星、有名な科学者は土星の位置と関係している」ことも判明(!??)。 こういうものは出生データのサンプルの取り方次第でどうにでもなります。 実際、ハーバード大学の統計学者マービン・ゼレンが調べたところによると、 「単なる確率的な偶然」 だそうです。 星占いを否定しようと頑張ってると、皮肉にも、最終的には自分で新しい星占いを作ってしまう というお話でした(笑)。
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「ヘェ〜的な話」その8 2004年10月25日更新 | |
決してサボってたわけではありません!もちろんネタが尽きたわけでも、、、 ちょっと忙しかっただけなので、見捨てないでみてください!
ハリウッドでイタズラと言えば、ヒッチコックが思い出されますが、 それに輪をかけてイタズラ好きだったのが、ポール・ニューマン。 あるとき、レッドフォードが新車のポルシェを買ったことを知った彼は、 あるイタズラを思いつきます。 そして、レッドフォードの邸宅に停めてあったポルシェを隠してしまい、 わざわざ作らせた姿形がそっくりのミニチュアのポルシェと交換してしまったそうです。 ちょっと見ただけでは気付かないぶん、それがニセモノだとわかったときは、 レッドフォードもさぞや驚いたことでしょう。 『スティング』の撮影が終わり、打ち上げパーティーでのこと。 監督ジョージ・ロイ・ヒルの驚く顔が見たくなったニューマンは、 彼が買った新車のポルシェが駐車場にあることを知り、イタズラをしようと思い立ちます。 なんと、そのポルシェを真っ二つに切り裂いてしまったのだそうです。 しかも、駐車場に帰ってきたヒルがよく見えるようにと、スタントマンに 工事用のライトを点けて立たせていたんだとか。 贈ったことがあります。 さも貴重品のようにガードマン付きで送り返したんだそうです。
ポール・ニューマンには、まだまだいっぱいイタズラの逸話が残っています。 彼は高齢のレーサーとしても有名ですが、あるとき若いレーサーにからかわれて、 墓地のギフト券を贈られたんですが……それへの反撃がすごい。 わざわざ飛行機をチャーターし、レース中に「クリスちゃん、ウォリーちゃん、 ママに電話して」という幕を引かせて飛ばしたんだとか(笑)。
ハリウッド・スターは、スケールも金の使い方も違いますねぇ〜 日本人には、無理かも、、、、、もしかしたら、叶姉妹なら、、、、
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「ヘェ〜的な話」その7 2004年09月30日更新 | |
既に「タイムマシーン」が完成していたって知ってました??
随分前になりますが、「YaHoo!オークッション」にものすごいモノが出品されて、 あちこちで話題になったのを知ってました? 出品した「shikumi0氏」によると、このタイムマシン(本物)は、 開発に5年の歳月と2000万円もの費用のかかった労作だそうです。 大きさは、幅152cm、奥行き215cm、高さ150cm。色はブルー系で、 アールヌーボー調に装飾されているということです。 動力源は100Vの家庭用電源(本当かい??)消費電力も、電子レンジ程度だとか! ただし、充電機能はないので、移動先での電源は自己責任で確保してほしいとか。 スイッチを入れてから時間移行可能状態になるまで20秒(フムッフムッ)、 移行開始まで2分〜2日かかり(エッ?)、それから移行完了まで体感時間で3年(!!?) も必要だそうです。持っていけるのは、自分の身体のみ。 つまり、3年間も裸でじっとマシンに座っていなければならないんですね。(爆笑)
なにしろ、モノがモノですから、出品者への質問が殺到したようですが、 「shikumi0氏」は、どの質問にも丁寧に答えていたそうです。 たとえば、「このマシンには、裸で搭乗するとのことですが、 それでは時間移動した先で困りませんか?」という意の問いに 「はい、私もいつも困っています」と、とても率直な答えを寄せていたらしいです(笑)。 保険をかけることはできますか?」という問いには、 「最寄りの税務署、保険会社にお問い合わせ下さい」だそうで。そりゃ、そうだ(笑)。 残念ながらこのオークションは、落札日の前日、金額も100兆円に届こうかという段階で、 オークションサイトから削除されてしまったそうです。 なんでも、「架空の商品は掲載させないが、可能性は低いとしてもこのタイムマシンは 実在しないと即断できず対応の決定に時間がかかった」というのが 削除に至るまでの経緯だとか。
もしかしたらあなたの近所に最近越してきた人は、「タイムマシン」を持っているかも(笑)
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「ヘェ〜的な話」その6 2004年09月10日更新 | |
よく「昔の人は、平均寿命が五十歳ぐらいだったから、五十歳を過ぎると老人だった。
それ以上生きることは、ほとんどなかった」と考えている人がいますが、それは間違いです。 『ゼロ歳児が、平均して、あと何歳まで生きられるか』を示しているからです。 乳児死亡率が異常に高ければ、当然、『ゼロ歳児が、あと何年平均しても生きられるか』 は短くなります。 江戸時代や、もっと以前の社会で、びっくりするほど平均寿命が短いのは、 よく子供が死んだからなんです。
あり得ないので、江戸時代の人だって、四十九歳まで生きられたのなら、たいていは 五十歳になれたはずです。
七十歳の人が七十一歳になれたかどうかは、知りませんが(笑)。
ふと頭によぎります、、 ほとんどが四十歳以下で死亡」というような記事が出ているせいかもしれませんが、 これもウソです。 なぜなら、この数字は「今までプログラマが何歳で死んだか」の平均でしかないからです。
なかったわけですから、どんなに長く見積もっても、四十年ほどの歴史しかありません。 二十歳くらいからやっている最古参のプログラマでも、ほとんどの人が生きてます。
そのため、七十歳、八十歳まで長寿をまっとうしたプログラマは、存在しないんです(!)。 結局、若くして死んだプログラマの年齢の平均を取るしかなく、それで計算すると、 非常に平均寿命が低くなるんですね。
だから新聞で「プログラマは早死にする」と書かれても、あわてて転職しないように(笑)。
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短編小説 | 「クラッシック」 2004年09月04日更新 |
春の大舞台!クラッシック!
一万頭の中で18頭にだけ許されたターフ!
スタータが旗を振る。
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「ヘェ〜的な話」その5 2004年09月02日更新 | |
近々民間での宇宙飛行も実現しそうな話もあり、宇宙旅行が出来る日も夢ではなくなってきましたが、 先人宇宙飛行士達は大変な努力をしたことでしょう! 先人宇宙飛行士のセリフって、記録に残ってますよね。
世界初の有人宇宙飛行をなしとげた旧ソ連ガガーリンの「地球は青かった」、はじめて月面着陸に 成功したニール・アームストロングの「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍の 第一歩だ」が有名ですね。 初の女性宇宙飛行士である旧ソ連のワレンチナ・テレシコワの「私はカモメ」も有名ですよね!
でも一番すごいと思うのが、女性宇宙飛行士として2人目となった同じく旧ソ連のスベトラナ・サビツカヤ の宇宙飛行に際して、すごい名セリフ(?)を記録に残しています。
宇宙船ソユーズで宇宙を飛行していた彼女は、宇宙ステーション・サリュートにドッキング。 ステーション内部に乗り移りました。 中で待っていた宇宙飛行士は、女性だと軽くみていたのか、さっそくエプロンを渡して
「ステーション内部を掃除してくれないかなあ?」と頼んだそうです。 科学者として生物実験をやりに来たのであって、家政婦として来たのではない、と言いたかったようです。 このセリフ、女性運動の歴史に残しても良いくらいだと思うんですが、いかがですか?
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「ヘェ〜的な話」その4 2004年08月28日更新 | |
肉じゃがといえば、今や日本の家庭料理の代表のような顔をしていますよね。 そのせいで、みんな、肉じゃがのことを「昔から日本にある伝統料理だ」と思ってませんか? 残念ながら、肉じゃがに伝統なんかありません。 実は、ポテト・コロッケをのぞけば、じゃがいもが食べられるようになったのは、戦後のこと。 それまで、じゃがいもは米や麦の代用食としてか認知されてなかったんですね。 だから、肉じゃがなどという料理が存在したはずがない(笑)。 肉じゃがのルーツとしては、明治時代、旧帝国海軍司令官・東郷平八郎が イギリスのビーフシチューを改良して作ったということが言われてます。 が、そのレシピ通りに作ると、現在の肉じゃがとは似ても似つかぬものになるらしい(笑)。 肉じゃがが全国的に普及したのは、1973年の石油ショック以降、1974,75年頃のこと。 このときの不況によって、日本全土に節約ムードが吹き荒れ、伝統回帰が叫ばれました。
料理の世界でも、和風の家庭料理が尊ばれたのですが、この頃に結婚した団塊の世代は、 カレーやシチューやハンバーグといった洋風料理しか作れなかったんですね(笑)。 しかも、母親から料理を習おうなんて気はさらさらなかった(笑)。 そこで、料理雑誌や新聞、テレビなどのマスコミが和風料理を紹介することになるんですが、 その中に「シチューで慣れ親しんだじゃがいもを、すき焼き風の醤油味で煮付けてデッチ上げた料理 」 があった。
それが、肉じゃが。
誰が名付けたのかわからないものの、この絶妙なネーミングで一世を風靡、 数年で家庭料理の王座についたんです。 あれぐらい信用できないことはありませんよね(笑) 偏見を承知で言いますが、そういう女性は、「肉じゃが=家庭料理=これさえ言っておけば、 たいていの男はイチコロ」と思っているのではないでしょうか?
石油ショックの時期に確立した肉じゃが のイメージを利用してるわけで、 料理好きで家庭的というイメージを植え付けようとウラがありありに感じます(笑)。 「目玉焼き」とか「スパゲッティー 」とか、本当に普段作っていそうなものを言う女性の 方がウラがなく、本当に普段から料理してそうですよね!?
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「ヘェ〜的な話」その3 2004年08月26日更新 | |
今では当たり前のようにみんなが飲んでいるコカコーラやペプシも昔は薬だったって知ってました?
<コカコーラの発明者> スタイス・ペンバートンという人。 1886年のことで、自宅の裏庭でコカの葉やらカフェインやらを混ぜて煮込み、 作ったものがコカコーラの原型だそうです。本人は二日酔いなどに効く薬のつもりだった。 非常に残念??ながら、現在はコカインの原料でもあるコカの葉っぱは入ってないらしいですが(笑)。 今も使われ続けているコカコーラのイタリック体のロゴは、この人が書いたものだそうで、 コーラという名前は、南アフリカ原産のコーラ・ナッツからきているが、
それは「kola」と書くらしいですが、なんとなく見栄えが良いので、「cola」に変えたそうです。 15セントだったそうだから、相当高価なものだったらしい。 (今の日本で言えば、ユンケル皇帝液のような感じだろうか?)驚いたことに、 その後50年も値上げされなかった。
めちゃくちゃ売れたので、値上げしなくても良かったということだとか。 このペプシという言葉、なんとなく中学高校の生物の時間に習った消化酵素の ペプシンに似ていると思ったことはありませんか?あなたは正しい(笑)。 なぜなら、もともと消化不良を意味する「Dyspepsia」が由来だから。 ペプシは、1898年、ケイレブ・ブラッダムが消化不良の薬として開発したもの。 なんだ、ペプシも薬なのかよ(笑)。
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「ヘェ〜的な話」その2 2004年08月18日更新 | |
今年は、アメリカ大統領選挙の年なのでこんな話を、、、、、、 『オズの魔法使い』が、アメリカ大統領選挙の話だったって知ってました? 1890年代アメリカには、人民党という政党があったのですが、『オズの魔法使い』の 作者ライマン・フランク・バームは、その人民党の熱心な党員でした。 バームは、1896年のアメリカ大統領選挙で人民党の大統領候補ブライアン氏が 破れたことから、この選挙の模様を童話にする決心をしたそうです。
当時の選挙の争点は、アメリカの貨幣を金本位制にするか、 それとも銀本位制にするか、でした。
それで、付いたタイトルが『オズ(oz)の魔法使い』。
金の重さを量る単位であるオンスの省略形というわけです。 全米各地の選挙を経て大統領を決める大統領選そのもの。 ドロシーは、東の魔女(=東部の銀行家)をやっつけたあと、 魔女の銀の靴(=銀本位制)で黄色いレンガの道(=金本位制)を渡って、 エメラルド・シティ(=ワシントン)への道を行く。 詐欺師だとわかり、幻滅する。
結局、かかし(=農民)はオズの国に残り、木こり(=労働者)は 東の国(=東部の金融街)を支配し、臆病なライオンは森に帰ってしまう
(=大統領選挙に惨敗する)。 銀本位制を主張した大統領候補ブライアン氏は、ここでも『銀』を葬られてしまったわけで、 やっぱりかわいそうな話ではあります(笑)。
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「ヘェ〜的な話」その1 2004年08月17日更新 | |
ラーメンが、どこの国の食べ物か知ってますか? 実は、れっきとした日本生まれの日本育ちなんですよ。 ところがこの店、その頃日本に大勢来ていた中国人留学生には、 とても評判が悪かったそうです。 というのも、コックが日本人ばかりで、誰もちゃんとした中華料理が 作れなかったからなんですね(笑)。 彼は、もともとシベリアのニコライエフスクの中国料理店で働いていたのですが、 ロシア革命の騒動に巻き込まれ、流れ流れて日本にたどり着いたという人物。 竹屋食堂に雇われた王は、客の目の前で麺を手延べし、 肉のスープに入れて料理として出すようになります。
これが、ラーメンの原型。
つまりラーメンとは、日本に流れ着いたロシアの中国人コックが作った日本料理。
なんと、ややこしい(笑)。 本格ラーメンといえば、真っ先に札幌が出てくるのは、単にそこが発祥の地だから。 札幌ラーメンが有名になったのは、昭和29年に週刊朝日が「札幌・ラーメンの街」 という記事を載せたせいです。 これで、全国的にラーメンという呼称が広まりました。
あの「チキン・ラーメン」のおかげなんです。 昭和33年以降のこと。この年、日清食品が「チキン・ラーメン」を売り出し、 それが驚異的な大ヒットとなったため、中華そばという名前が 一挙に古びてしまったからなんです。 その後、他のメーカーも次々にインスタント麺を出し、ラーメン人気に火がついたので、
どんどんラーメン屋が出来ました。 だから、「食堂でしか食べられないラーメンを家庭で食べられるようにしたのが、 インスタント・ラーメン」ではないんです。 その逆なんですよ。
「家庭のインスタント・ラーメンが人気になったので、 食堂でも食べられるようになったのがラーメン」
なんです。 考えてみれば、おかしな食べ物ですね(笑)。 「チキン・ラーメン」のことだと考えて差し支えないでしょう(笑)。 だって、元祖なんですから。 よく、ラーメンのことを「中国4000年の味」なんて言う人がいますが、 それはいろいろ間違っています(笑)。
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短編小説 | 「未勝利」 2004年08月08日更新 |
天候 晴れ、馬場状態 良。 ゲートイン直前、騎手には迷いがあった。
もうクラシックの夢は叶わない。 調整は万全。今までで最高のデキだ。なんとか勝ちたい。 でもそれで10回も負けた。 「いつもより早めにしかけるか。いや、それでは詰めが甘くなる。」 彼はまだ葛藤の中にいた! 「内枠の逃げ馬がとばすのは確実だろうからハイペースになる。」 「それにこいつはスタートが下手だから簡単には前に行けない。」
案の定出遅れ。
前はとばしてるな。案の定ハイペースだ。 「いつものこいつの走りをさせてやればいいんだ。」 小細工なんかいらない。俺たちの競馬を見せてやろうじゃないか。」
やがて第3コーナーにさしかかる。 最後方で我慢。 第4コーナー、各馬動きが激しくなる。先頭が入れ替わる。
先頭との差は10馬身。 「いけえぇ。」
一歩一歩ストライドを刻むたびに先頭との距離が縮まる。
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「少年の心を持った大人」 2004年7月23日更新 | |
私は、「適当」と言う言葉が好きだ。
何気ない生活の中でも余裕がない人は「人生を謳歌する為に生きる」 という根本がどっかに飛んでいる気がしてならない。
「適当の意味をはき違えた大人」に見守られた「がむしゃらな行動をする子供」は 創造を絶する行動を起こさないだろうか? 時に他人の目からは、「少年の心を持った大人」として敬意をもって見られると思う。
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「 始 ま り 」 2004年7月15日更新 | |
まるでゲームセンターでも行く様な気分で友達を駅で待っている。
くしゃくしゃのスポーツ新聞を握りしめた友達が頭をかきながら現れた。
「ああっ!今日は特にな、G1開催だしな!」すぐにまた新聞に目をやる。
「今日は誘ったから俺が出すよ!おばちゃん二人分ね!」 と400円を受け付けに差し出す。
「ちょっと待っててくれ」そう言い、オッズプリンタへ。 「やっぱり堅てーなあ!」すたすた歩いて行く。
新しめの建物の芝生に競馬欄以外の新聞を無造作に敷いて場所を取る。 「いいか、この馬は前走を楽勝してて今日1番人気だ!今日はこの馬からだな」 束で取ってきたマークシートを俺に渡して新聞の見方を教える。
「最初からわかったら怖いわ、いいんじゃねーか好きな名前で買うのも」 マークシートの書き方を教わり、100円分買った。
「2本な」とだけいい、また新聞に目をやる。
周りを見ると親子連れや友達と同じ様に新聞を穴が空くぐらい眺めてる人までさまざまだ。 まるで野外コンサートで歌手が出てきたかのごとく歓声があがる。
一種異様な光景だ!遠くのほうで馬がゲートに入っていく。
走り出した。
「おまえの馬は黒と赤だからな」一生懸命探す。 だんだん近くに寄ってきた。それと共に歓声が一層激しくなる。 「逃げろ〜、、差せ〜、、」さまざまな声が飛ぶ。 「行け〜〜!」気がつくと叫んでる自分がいた。
「おまえ取ったんじゃねえか?」馬券を破きながら友達が覗き込む。
テレビにリプレイが映し出される。 「やった!」確定後馬券を換金に行って、3480円を握り締める。 「ビギナーズラックだな!」そう言う友達に「また来ような!」と歓喜する。
「ビギナーズラックだな!」と言う俺に 「また来ようね!」と歓喜し5620円を財布にしまう妻と家路に着く、、、
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